師・矢野智徳に学んだ5年間|「大地が呼吸する」という視点

EKAMが現場で大切にしている考え方の根っこには、ひとりの師の存在があります。環境再生医・矢野智徳(やの とものり)さんです。私はご縁をいただき、矢野さんのもとで約5年間、日本全国の現場をともにしながら学びました。この記事は、技術解説であると同時に、師への感謝の記録でもあります。読み物として、矢野さんという人と、その仕事の凄さを正確にお伝えできればと思います。

はじめて矢野さんの現場を見学した日のことを、今でも覚えています。重機もなく、立派な資材もなく、ただスコップと鎌を手にした人たちが、淡々と地面に細い溝を掘っていく。それだけの作業なのに、半日後には、ぬかるんでいた土がしっとりと落ち着き、空気が変わったように感じられたのです。「ここで学びたい」と思ったのは、理屈より先に、その場の空気が教えてくれました。それから約5年、私は現場へ通い続けることになります。

師・矢野智徳について

矢野智徳さんは1956年、福岡県北九州市の生まれ。ご実家が花木植物園で、幼い頃から植物に囲まれて育ったと聞いています。東京都立大学では理学部地理学科で自然地理を専攻され、その後は全国を放浪しながら各地の自然環境をその目で見て歩かれました。土地を「地形・水・植生のつながり」として読む視点は、この地理学の素養と全国行脚の蓄積から来ているのだと、現場に立つたびに感じます。

1984年に「矢野園芸(杜の園芸)」を始められ、造園家として歩み出します。転機となったのが1995年の阪神・淡路大震災でした。被災した庭園の樹勢回復作業にあたるなかで、大量の瓦礫が「ゴミ」として処理されていく現実を目の当たりにし、土地と資源を再生する施工のあり方を本格的に模索し始めたといいます。1999年には環境NPO「杜の会」を設立し、現在は合同会社「杜の学校」(山梨県上野原市)の代表として活動を続けておられます。全国で手がけた環境再生施工や講座は400件以上。その仕事ぶりから、矢野さんは「環境再生医」と呼ばれています。

5年間の修行で叩き込まれたこと

矢野さんの教えは、特別な道具や難解な理論から始まりません。出発点はいつも「大地が呼吸しているか」を見ること。土の中を空気と水がきちんと巡っているか——その一点を、植物の表情や地面の手触りから読み取る。修行で最初に叩き込まれたのは、この「観察」でした。

風の草刈り

草を地際からツルツルに刈り取るのではなく、風が抜ける高さで、地表に近い茎葉を少し残して刈る。これが「風の草刈り」です。地際を刈り尽くすと地面が固く締まり、土中の通気が止まる。逆に風が通る刈り方をすると、根が呼吸を続け、土がふかふかと保たれる。「草は敵ではなく、土を耕してくれている仲間」という見方を、鎌の使い方ひとつから教わりました。

水脈整備と点穴

矢野さんの施工を象徴するのが、分断された水と空気の流れをつなぎ直す仕事です。固く締まった地面に細い溝を掘り、炭や枝、わらなどの有機資材を入れて、水と空気がしみ込んでいく「みち」を回復させる。要所には「点穴(てんあな)」と呼ばれる縦穴を設け、淀んだ水と空気の抜け道をつくる。重機で一気に造成するのではなく、スコップや移植ごてで、土の声を聞きながら少しずつ手を入れていく。この「空気と水の浸透循環を回復する」という原理こそ、私がEKAMの現場に持ち帰った最大の財産です。

植物と土の表情を読む

葉の色、枝の伸び方、地面のぬかるみ方、苔の付き方。矢野さんはそれらを「土中で何が起きているかのサイン」として読み解きます。元気のない木の足元には、たいてい通気と排水の停滞がある。症状(弱った木)ではなく原因(止まった呼吸)を診る——「環境再生医」という呼び名がしっくりくる所以です。5年かけて、私はようやくこの「診る目」の入り口に立てたのだと思います。

道具は最小限、観察は最大限

修行中、矢野さんに何度も言われたのは「急いで答えを出すな、まず土に聞け」ということでした。私たちはつい、問題を見つけるとすぐに手を動かしたくなります。けれど矢野さんは、施工に入る前に長い時間をかけて土地を歩き、水がどこから来てどこへ抜けたいのかを見極めます。雨上がりの地面、朝露の残り方、足裏に伝わる固さ。情報は、いつも自然の側にある。道具は最小限でいい、その代わり観察は最大限に——この順序を体で覚えたことが、5年間で得た一番の収穫かもしれません。

そしてもう一つ。矢野さんの現場は、いつも「やりすぎない」という美学に貫かれていました。人間が一気に作り込むのではなく、土地が自分で回復していくための「きっかけ」だけを置く。溝を掘り、点穴を開け、風の通り道をつくったら、あとは自然の力に委ねる。施工後にこそ機能が育っていく、という考え方は、完成形を一度で仕上げようとする一般的な造園とは、まったく逆の発想でした。

矢野さんの凄さは、どこにあるのか

修行を終えて改めて思うのは、矢野さんの凄さは派手な技術ではなく、徹底して自然の側に立ち続ける姿勢にある、ということです。

  • スコップひとつで自然は取り戻せると信じ、実際に取り戻してきた実行力。大規模な土木に頼らず、最小限の手数で土地の呼吸を蘇らせる。
  • 現代土木の「裏側」に切り込む批評性。コンクリートで固め、水を一気に流す工法が、いかに土地の通気循環を分断してきたか。その問題に正面から向き合い、予防と改善を提案し続けている。
  • 惜しみなく伝える教育者であること。技術を抱え込まず、全国の講座で誰にでも開いていく。私のような者が学べたのも、この姿勢のおかげです。

「自然の声を代弁する造園家」。矢野さんを表すこの言葉に、私は今も背筋が伸びる思いがします。

師から受け継いだもの

矢野さんに学んだ「大地が呼吸する」という視点は、そのままEKAMの環境再生造園・環境再生土木の土台になっています。庭づくりでも、外構でも、造成地の改善でも、私たちはまず「この土地の空気と水は巡っているか」を見るところから始めます。木を植える前に、土に呼吸を取り戻す。これは矢野さんの現場で、何度も繰り返し体に刻まれた順番です。

たとえば、水はけが悪く木が育たないと相談を受けた庭。以前の私なら土を入れ替えることを考えたかもしれません。けれど矢野さんに学んだ目で見ると、原因は土の質ではなく、敷地の縁で水と空気の流れが分断されていることにありました。固く締まった一角に溝と点穴で「みち」を通すと、数ヶ月かけて水たまりが消え、弱っていた木が新しい葉を出し始める。土地そのものを否定せず、呼吸を取り戻すだけで景色が変わる——この手応えを、私はお客様の現場で何度も追体験させてもらっています。すべて、師の現場で見せていただいた原理の応用です。

5年間、未熟な私を現場に立たせ続けてくださった矢野さんに、心から感謝しています。教わったことを自分の言葉と技術に翻訳し、次の世代と、ご縁をいただくお客様の土地へ手渡していくこと。それが、いただいた学びへの一番の恩返しだと考えています。

矢野智徳さんの活動・作品に触れるには

矢野さんの仕事は、書籍・映画・講座を通して誰でも触れることができます。ご興味のある方は、ぜひ一次情報にあたってみてください。

  • 書籍『「大地の再生」実践マニュアル ―空気と水の浸透循環を回復する』(矢野智徳・大内正伸 著/農山漁村文化協会・2023年)。図解と写真が豊富で、考え方と技術がていねいにまとめられた一冊です。→ 版元ドットコムの書誌情報楽天ブックス
  • ドキュメンタリー映画『杜人(もりびと)~環境再生医 矢野智徳の挑戦』(2022年・監督 前田せつ子)。矢野さんの仕事と思想を3年間追った作品で、全国で自主上映が続いています。→ 映画公式サイト(リンカラン フィルムズ)
  • 「大地の再生 結の杜づくり」公式サイト。講座の案内や全国の施工事例、最新情報はこちらから。→ daichisaisei.net

師・矢野智徳に学んだ5年間

まとめ

環境再生医・矢野智徳さんから5年間教わったのは、技術である以前に「土地と自然に対する向き合い方」でした。大地が呼吸しているかを見る。草を仲間として扱う。水と空気のみちをつなぎ直す。スコップひとつで、土地は応えてくれる。この原点を胸に、EKAMはこれからも環境再生造園の現場に立ち続けます。師である矢野さんへの感謝とともに、いただいた学びを一つひとつ確かめながら、次の世代と、ご縁をいただく土地へつないでいきます。



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